大日記
会場は新宿区荒木町で、自宅から歩いて行ける。藤野さんと私とは、哲学では同門であり、今回はそのご縁でお誘いを頂いた。
テーマは「みんな避けてた見た目の話」。藤野さんは数年前に、哲学者の西研さんと『不美人論』(径書房)という対談本を出しているから、このテーマは「美醜と女性」と言い換えてもよいかもしれない。
この講演会は新宿区の男女共同参画の一環として企画されたものらしい。講演後に藤野さんとお話したら、担当者から「ブス」の定義を聞かれて困ってしまったそうだ。
この種の問いには、いくつかの困難が付きまとう。まずひとつは、「美」と「醜」の間に境界線を引けるのかという問いが必ず出てくることである。「定義」という言葉が出てきたら警戒を要する。
たとえば幾何学なら「円」の定義というものがあり、それに当てはまる図形と当てはまらない図形がある。それが「円」と「円ではない図形」との境界線だ(もっとも、これだって相対化しようと思えばいくらでも可能なのだが)。
ところが美醜の問題では、そもそも「美」や「醜」の定義が難しい。だから「ブス」の定義も難しいのである。あまり深く考えない人なら、たとえば「顔の悪い女」と答えるかもしれない。しかし、「顔の悪い女」と「そうではない女」の境界線をどこに引くのだという問いは、依然として残ってしまう。
講演後、藤野さんと春日武彦さん(心理学者)との対談があったのだが、この対談でもやはり二人とも「う〜む…」という話になってしまった(^^;)。しかし人間が「美醜」という価値基準を持っているということ、それ自体は否定できない。藤野さんも春日さんも、それは同意見だった。
実は「ブス」についての考察は、数学などでいう「定義」とは異なる方法で行なわれなくてはならない。
「ブス」の定義を問われて答えられない人でも、「ブス」という言葉が理解不能というわけではない。つまり誰でも「ブス」という言葉を何らかの意味において了解しているのであり、それをが何であるかということを、内省から取り出してみる必要があるのだ。
このような方法を現象学では、本質直観とか本質観取という。つまり「ブスの本質直観」を行うことが必要なのだ。
私の考えでは、顔の物理的な造形の良し悪しは「ブス」の本質ではない。「ブス」とは差し当たり「エロスと無縁の存在」ということになる。この場合の「エロス」というのは、性的な意味に限らず、人間にとっての「よい」とか「よろこび」「快」など、プラスの価値をもたらすものの総称と考えて欲しい。
「ブス」が「エロスと無縁の存在」であるということには、さらに2つの意味がある。ひとつは「他者にエロスを与えることが出来ない」という意味であり、もうひとつは「本人自身がエロスを享受できない」という意味だ。
したがって「ブス」とは、「他者との関係においてエロスのやり取りができない存在」ということでもある。つまりは他者との関係のありようを表す言葉なのだ。
顔の良し悪しだけでなく、たとえば「性格ブス」という場合の「ブス」も、やはりこの意味だと考えると納得できる。
とはいえこの語は、通常は女性に、そして顔の良し悪しと関連して使われることが多い。それは確かなのだが、単なる物理的な造形の良し悪しを言うのではない。「他者との間でエロスのやり取りができそうにないと直観されるような顔」を「ブス」と呼んでいる。
もう少し突っ込んでいえば、「お前は他者とエロスの交歓はできないだろう」とか「今までもエロスと無縁な人生だったに違いない」という評価なのだ。もちろん、相手が初対面の女性であれば、これは第一印象からの評価に過ぎず、その評価が当たっているかどうかは別問題である。
しかし、「ブス」という語を投げつけられた女性にとっては、「お前はエロスと無縁な存在であり、人生を楽しむことを断念して生きなければならない」と一方的に宣告されているに等しい。つまり「彼女」は「ブス」という語を投げつけられることによって、自身の人生の可能性を否定される。「ブス」という語が女性を傷つけるのは、ここにその本質がある。
もちろん、これが第一印象からの判断であれば、この判断は後に変更される可能性もある。うろ覚えではあるが、小林よしのりの旧『ゴーマニズム宣言』に次のようなエピソードがあった。
文化祭の準備で、一人で絵を描かなければならなかった小林が、その準備がまったく出来ていないことに気がつく。絵の具を使おうにもパレットがない。そのとき、「ブス」だと思っていた同級生の女の子が、私の手のひらをパレットに使ってといって、小林に両手を差し出した。小林の目には、それまで「ブス」だと思っていたその女の子が、たちまち輝いて見えたというのである。
もちろんこの場合でも、小林の目に、この女のこの顔が「美人」に移ったわけではない。造形についての認識は変わらないはずだ。しかし、この時点で彼女は、もはや小林にとって「エロスに無縁な存在」ではなくなっている。彼女の行為によって、小林は既に彼女からエロスを受け取ってしまっているからだ。そのため、彼女の顔はそのままでも、もはや小林は彼女を「ブス=エロスに無縁な存在」と認識することができなくなったのだ。
小林自身はここまで分析しているわけではないが、これは「ブス」について考える上で重要なエピソードである。
ただし、「ブス」呼ばわりされている女性が、同じ効果を狙って親切の押し売りをしても、失敗する可能性が高い。上記の小林のエピソードに登場する女の子のように、計算ずくではない好意や善意が必要なのだ。
「悪女の深情け」という言葉があるが、この場合の「悪女」とは道徳的な善悪のことではなく、顔の悪い女という意味だ。このことわざは「醜い女は美人に比して愛情や嫉妬心が深い」という意味であり、「ありがた迷惑」の類いの言葉として用いられる。こういう場合、男はしばしば恐怖して逃げる。
改憲反対派が、国民投票法案にも反対するのは、もしこれが成立すれば改憲が実現するということを恐れているからだろう。しかし、それは国民投票で国民の過半が賛成票を投じるという予測を前提としている(そうでなければ国民投票が行なわれた結果として、改憲は否定されるはずなのだから、反対派が心配する理由はない)。
要するに、国民投票法案への反対は、国民の意思を国民の意思として認めないという、反民主主義的な主張に他ならない。
もっと噴飯ものなのは、改憲の結果として徴兵制が実施されるという「妄想」である。いったいいつの時代の軍事を語っているつもりなのか。日露戦争や第一次大戦のころなら、国民を掻き集めて鉄砲を持たせ、初歩的な訓練を施せば軍隊としての形がついた。しかしハイテク兵器にあふれる現代の軍事では、この方法はまったく通用しない。「一銭五厘」の兵隊ではなく、熟練した技能者を必要とするからだ。
これは「徴兵制を復活せよ」と主張する右翼にも言えることだが、どちらも軍事について時代錯誤としかいいようのない認識しか持っていない。簡単にいえば「フセイン並みの軍事センス」であり、現代の安全保障を考える上では論外だ。
また、与党単独での採決を批判する向きもあるようだが、そうなったのは民主党が離反した結果に過ぎない。与党はけっして最初から与党のみでの採決を考えていたわけではない。だからこそ民主党の提案をも受け入れての修正案を作ったはずなのだ。
もし本当に与党単独採決になったとしても、それは民主党が「野党共闘」という党利党略に走った結果としてそうなるのであって、与党を責めるのは筋違いである。
もっとも私の予想では、これは必ずしも純粋に与党単独採決にはならないのではないかと思う。民主党にも賛成派が存在し、党内の意見の取りまとめに難航しているからだ。その状態で民主党が党議拘束をかければ、民主党が分裂する可能性もある。党の分裂を恐れる民主党がそこまで踏み切る可能性は、今の時点では低いと思う。
したがって与党と、民主党の賛成派議員による可決という形になる可能性が、今の時点では最も高いのではなかろうか。
共産党にしても、皇室制度をなくすのが目的だったのなら、憲法第一条を変えなければ実現できません。
そのためには国民投票制度が必要ですが、反対すれば論理的に矛盾しています。
左翼の人たちの世界は、絶対的真理を持つ人、権力者、指導しないと権力者にだまされる愚民という三つしかないのでしょうね(笑)
だから、愚民には決定権を与えたくないと。
個人的には、国民投票法ができたら真っ先に改憲してほしいのは、改憲の手順なんです。国民投票なんていってもすぐに飽きますからね。
徴兵制においては、復活するなんて右派でも少数派だと思いますので、妄想だけで煽る手口ですね。
もっとも韓国のように未だに徴兵制をやってる時代遅れの国が隣にあるからなんとなくそうかなあと感じてしまうのでしょう。
共産党に関してはおっしゃる通りで、彼らも自分達の主張が今の日本では通りそうにないということを、実は知っているんですね(笑)。
ただ彼らは社民党と違って「護憲」とは言いません。「改悪」反対とか阻止というわけです。この点では筋が通っていて(もちろんだからといって賛成はしませんが)、彼らにとっては天皇制廃止のために第一条を変えるのは「改正」であり、自民党の改憲案は「改悪」だと言っているに過ぎません。第9条だってわかったものではなくて、共産党が圧倒的多数の議席を得て政権を握ったら、第9条を変えて「日本人民解放軍」を作るかもしれません。
>もっとも韓国のように未だに徴兵制をやってる時代遅れの国が隣にあるからなんとなくそうかなあと感じてしまうのでしょう。
韓国の場合には「時代遅れ」ではなく、それなりに必要があるわけです。国民が少ない割に大きな脅威が現実味を帯びて存在していると、徴兵制に頼らざるを得なくなります。
韓国と北朝鮮の国境には、両国(と米軍)の戦車が展開しています。冷戦当時の東西ヨーロッパでも境界線をはさんでNATOとワルシャワ条約機構の双方の戦車が対峙していたのですが、朝鮮半島でにらみ合っている戦車の総数は、それよりも多いんです。世界で一番戦車が集まっている地帯ですね。もちろんそれでも軍隊にとって「質」が重要な要因であることには変わりありませんが、「数」の面でも志願制だけでは補えない事情があるわけです。
同じような条件を持つ国として、アラブ諸国に囲まれたイスラエルがそうですね。あの国も徴兵制を解除できません。スイスには現在、韓国やイスラエルほどの脅威はないと思いますが、やはり人口が少ないことと、国際状勢がいつまた変化するかわからないという不信感があるのでしょう。
しかし日本や、みそしるさんがおっしゃるように米軍などでは、徴兵制にはデメリットばかりで、メリットがありません。
「ゆとり教育」見直しに賛成が8割という記事で、私自身も賛成ではあるが、「それだけではだめだ」ということも忘れてはならない
。
たとえば算数の学力の国際比較では、ゆとり教育」以前でも、日本の子供は単純な計算問題には強いが、応用問題・文章問題には弱いというのが定評だった。
「ゆとり教育」による学力低下はもはや隠しようもないことで、見直しによって「ゆとり教育」以前の学力を取り戻すことはできるかもしれない。しかし、それだけでは「応用問題・文章問題にも強い学力」は身につかないだろう。この点をどうするのかということも、合わせて考える必要がある。
これはあくまでもひとつの例に過ぎないが、要するにこの問題は、「ゆとり教育」か、それ以前の教育かという、二者択一の形で考えてはならないということなのだ。昨今、教育問題を考える上で、これは賛否両派が陥りやすい誤謬だと思われるので、ここに指摘しておく。
遺書はノート3ページに渡って書かれていたというから、自殺の理由は、報道されていないだけで、おそらくそこに書かれていたのだろう。当該警察官の個人的な理由(失恋や借金苦など)なのか、警察組織的の問題に原因があるのか、今の時点では不明である。
ただ、警察は職場全体が悪い意味での「体育会系」の雰囲気を有しており、そこから生じる理不尽な「いじめ」が跡を断たないことは事実である。何年か前に神奈川県警の厚木署員が、後輩の口に拳銃の銃口を突っ込んで脅したという報道があったが、あんなものは氷山の一角に過ぎない。
各警察署には、通常は警務課があり(組織構成が異なる場合はあるが当該部署は必ず存在するはずだ)、企業でいう総務や人事のような仕事に加えて、監察の任務がある。ところが、これが伝統的(?)な「いじめ」に関しては、まったく役に立たず、内部の不始末を見てみぬフリをすることが多い。
なまじこのような問題に積極的に取り組むと、その警察署だけが不始末だらけのように見える。その警察署の幹部が本部からにらまれるのがオチだ。階級が上に成るほど短い年数で定期異動があるから、その短い年数を平穏無事を装って過ごすことになる。その意に反する部下も、まずいない。
こうなると、いじめられる者はたまらない。どんな目に遭わされても、110番をかけることも出来ない。警察全体に上記のような体質があるから、たとえ本部に直訴したところで効果のほどは怪しいものである。そもそも警察署の警務が取り合わない時点で、この問題に関しては組織に対する信頼が失せている。
4〜5年も耐えることができれば「いじめ」の対象は後輩に移るが、今度は「申し送り」と称していじめる側に回る警察官もいる(だから警察の「いじめ」がなくならない)。耐えられなければ、退職する覚悟でマスコミにでも持ち込むか、自殺でもするしかない。
それが警察という組織の暗黒面であり、このような実態を知っていれば、むしろ自殺者は少ないとさえ思えてしまうし、それが不思議に思えるほどだ。
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